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第20話 ファルドン司祭

ローリーはメーヤーと別れると、モンテスからの迎えとともに、懐かしき居城へと戻った。

ローリーはまず父と母に面会を求めたが、父は諸侯会議でブレイク王室領に出向き、母はステフォン領の騎士団行事に出席していたため、果たせなかった。そこで、本来の目的である律法書確認のために図書館に向かった。


モンテスはブレイク王国の宗教界に多大な影響を持つ。それはまず、国教であるマヌーサ教の研究者である聖職者を多く輩出している事、さらに律法りっぽう学者の多くがモンテス出身者だからである。ローリーの執事バスチオンもまた、高名な律法学者であった。

ブレイクにおける律法学者は、いわば万民が従うべき法律を創造する立場であり、大きな影響力を持っているのだ。ブレイクでは、その頂点に立つ王室ですら法の下に政治を行う。

まず、マヌーサの福音が示された経典が人々の生活における第一の規範となる。しかし、経典には人の行い、全てについて導きがあるわけではない。たとえば、取引のルール、または、領土をめぐるルール、罪を犯した者のルールなどなど。そのような幅広い人間生活に関するルールは、経典には具体的な記載が無いのである。そこで、律法学者たちは、正統とされる経典の解釈をもとに、取引ルール、刑法、手続きルールなどを組み立ててゆく。抽象的な経典を、具体的な生活規範とする作業、律法は、ブレイク王国の政治にとって重要なプロセスなのである。

いささか退屈な話が続いてしまい、恐縮ではあるが、このような理由からローリーはグザールで施行されるルールを作るために、モンテスの図書館で律法書を求めたのである。

モンテスの蔵書は膨大であり、城内に収まりきらない書物は三階建ての図書館に納められている。法律関連の書籍は事務手続き上の負担軽減のため、ほとんどがこの図書館に移されている。それは火災から書物を守るために大部分が石組みで構成されており、まるで砦の様な外観を有している。一階部分は様々な行政文書が収蔵されており、時折、吏員りいんが出入りしているが、図書館内は静かで、ひんやりと涼しい。


ローリーは図書館の静けさが好きであった。別棟には専門書が多く、ローリーは手に取ったことこそなかったが、城内の本館で異国の伝承や、珍しい動植物、怪物の図録など、眺めるのが好きであった。

ローリーはふいに、誰かに見られているような気がした。システムで周囲を探査する。その場に、ローリーが知っている意外な人物が感知された。

「ファルドン先生?」

背の高い書棚の陰から、姿を現したのは、ローリーの叔父にあたる、ファルドン司祭であった。部下を引き連れて、調べものをしていたのであろうか。しかし、身分の高いファルドン自身がここにいるのは不自然である。

「ローリー、さすがに鋭いですね。ですが、あなたの邪魔をしに来たわけではありませんよ」

ファルドンは微笑みながら、ローリーに近づいてきた。

「戻られたと聞きました。グザールでの生活はいかがですか?モンテスと比べて、何かと不便な環境でしょう」

眼鏡の小さな瞳が細められた。ファルドンは前述の律法学者の一人であり、ローリーも神学においてその薫陶くんとうを受けていた。非常にまじめな人物で、経典の理想をこの世界に体現しようという、高い志を持った人物である。涙もろく、礼拝では祈りの最中に感極かんきわまり、言葉に詰まってしまう事も多かった。ローリーはファルドンを良き師として尊敬していた。

「ありがとうございます、先生。バスチオンや、部下が頑張ってくれていますので」

ファルドンは微笑みながら何度もうなずく。

「バスチオン。素晴らしい人物だ。今一つ、考えの読めないところはありますが」

ファルドンの背後には、特徴的な白装束に身を包んだ長身の審問官が2名控えていた。審問官とは、本来は異教徒を取り締まる吏員であるが、モンテス領においては聖職者の助手やボディガードを兼ねていた。

「ところでローリー。お父様には伝えたのですが。あなたを狙っていた賊どもの正体について」

「えっ」

「バスチオンから報告を受けた後、モンテス公は我々に内密の調査を依頼された」

「犯人が分かったのですか?」

ローリーは2ヶ月ほど前、グザールに至る道で襲撃を受けて後、身の危険を感じたことはなかったが、あのまるで狙いすましたかのような襲撃を、何者が計画していたのか、気に病んでいた。

ファルドンは首を横に振った。そして声を潜めて語った。

「残念ながら。報告書をまとめようか、思案したのですが、今のところ、お父様と相談中であります。ですが襲撃の現場から、様々な証拠が発見されました」

「やはり、山賊などの仕業では、無かったという事ですね?」

「ええ、あの襲撃者は依頼を受けて、あなたを攻撃したのです。そして」

ファルドンは顔をしかめた。

「その依頼者、つまり犯人は、あなたの近しい人物である可能性が高い」

ローリーはショックを受けた。想定していた、最悪の事態であった。ファルドンは部下2名に人払いを命じた。

「ローリー。あなたは、モンテスの諸侯候補だ。あなたが認めていなくとも、周囲の者はその様に考えている」

「先生、ですが、僕はまだ八歳です」

「そう、しかし、モンテス公はあなたの兄ではなく、あなたを諸侯候補としてお考えのようだ」

「兄?先生、わたくしに兄がいるのですか?」

ローリーは驚き、ファルドンに尋ねた。ファルドンは首肯しゅこうする。

「モンテス公もいずれは、兄の存在をあなたに語らねばならない。そしてあなたは、兄と出会う事となる」

唐突に明かされた事実にローリーは驚いたが、一方でそれはごく当然であるとも感じた。何しろ、ローリーの母であるヤグリスはモンテス公の3番目の妻なのだ。

それよりも、襲撃を指示した人物が何ものであるのか、ローリーは気になっていた。

「先生や、父は、あの襲撃が誰の命令であるのかを、ご存じなのですか?」

ファルドンはローリーを見つめ、首を横に振った。

「残念ながら、確証が得られていません。しかし…」

ファルドンは俯き、声を潜めた。

「次期諸侯であるあなたを邪魔に思っている人物が、何人もこの城の中にはいるという事です。お気を付けを、ローリー」

「先生、私は、どうすればいいのでしょう」

ローリーは初めて、自身の立場の危うさに気づいた。

「私も、あなたを全力でお守りします。なぜなら、仮に、あなたの身に何か起きてしまった場合、私が一番に疑われることになりますしね」

「ファルドン先生が?なぜです」

「それは…私もまた諸侯候補と目されているからですよ」

時を告げる鐘が、重々しく図書館に響いた。

「先生、部下を待たせているので、失礼します」

ローリーは本当は調べ物の途中であったが、胸騒ぎを覚えて図書館を後にした。背後にファルドンの視線を感じながら。


「じい、お願いだ、僕の兄について教えてくれないか」

ファルドンから兄の存在を聞かされたローリーは、総督事務所に戻ると、執務室でバスチオンと二人、内緒の話を始めたのだった。

ローリーの言葉に、バスチオンは深くうなずいた。

「いずれは、お話ししなければならないことでした。あなたの兄について。まず一番年かさのアンドラス辺境伯へんきょうはく

「辺境伯…」

「旦那様の最初の奥様との子で、ローリー様のように文武両道にて容姿秀麗なお方でございます。兄上はベスチノの総督を任されています」

おそらく、僕がグザールに派遣されたように、政治手腕を磨くため、植民地を任されたのだろうと、ローリーは考えた。

しかし、そんな素晴らしい人物が僕のお兄さんだなんて!ローリーは兄に会うのが楽しみになった。

バスチオンは視線をずらした。記憶をたどるように。

「さらに、ぼっちゃまのもう一人の兄上は、グザール城の、北塔にいらっしゃいます」

「なんだって!?」

ローリーは驚愕した。グザール城の北塔は、幽霊が出るため立ち入り禁止となっており、先日、そこに迷い込んだローリーは怪しい人影を見たばかりである。

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