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第19話 北塔の幽霊

7月。夜空にはあまの川と呼ばれる、帯状の星々がきらめきを見せている。雲のない漆黒の空に、ちらちらと光を放つ、無数の星々がひしめいている様は、不気味なほどに美しい。

グザール城は物見や気象、天体観測のために大小合わせて7つもの尖塔せんとうを備えているが、そのうちの一つ、北塔は立ち入り禁止となっている。

その理由は、そこに幽霊が出没するからである。


グザール領は戦場に近く、戦死者の霊の目撃証言がたびたび、総督事務所にも寄せられる。

教義によれば…女神マヌーサは死者の霊を導き、天上で奉仕させるのだという。しかし、悪しきもの、未練を残したもの、苦しみもがいたもの、それらは下界に残って幽霊として人々の眼前に姿を現すとされている。ブレイク王国でも信仰深いものは、特に幽霊を恐れる。

しかし、ローリーは違った。彼もまた信仰深いが、幼少より、システムの力で周囲の状況を分析してきたローリーにとって、幽霊とは全く感知できない存在であり、無害な存在だからである。

ただ、そうはいっても、生まれついて人間が有する恐怖心、暗闇に対する不安、死後の世界への空想、それらを全て取り去ることはできない。


したがって、幽霊が出るという北塔に迷い込んだローリーは、背筋に言い知れぬ冷たいものを感じていた。

華やかなローリー歓迎の宴の後、寝付けずにいた少年はそっと部屋を抜け出し、美しい星空を見に、こっそりと塔に登っていったのである。

ローリーの感覚が研ぎ澄まされている。急ながら、石の階段が裸足にひやりと心地よい。大きな好奇心に罪悪感が入り混じっているが、すでに来賓たちは帰途きとにつき、召使いらも自室へと引き下がった。城内は暗く、静まり返っている。

幽霊とは、恐怖心、物音、人影、その他さまざまな要因が生み出した錯覚にすぎない。そう自分に言い聞かせて、システムで周囲を探査する。

その時である。ふいに目の前に、人影を感じる。ローリーは悲鳴を上げそうになった。

とっさにシステムで分析する。システムはそれが出会ったことのない人物であると、ローリーに告げている。少なくとも、幽霊ではない。人間だ。

しかしこんな深夜に、なぜ立ち入り禁止の北塔に、人がいるのか。小さな星明りだけが差し込む塔の中で、ローリーはその人影に目を凝らした。

それは、幽霊よりも、奇怪な、影であった。

大きさは子ども位。ローリーとほぼ同じ大きさである。左右に大きく体をゆすりながら、ローリーに近づいてくる。

それが奇怪なうめきを発した。子どもの声などではない。亡者のような苦し気なうめきである。その動きは通常の人間と異なっている。まるで歩き方を知らぬ怪物が、人を真似ているような動き方なのだ。

ローリーは恐怖に耐えきれず、無言できびすを返した。慌てて石の階段を駆け下りていく!北塔はランプが全くともっておらず、窓からのわずかな星明りが頼りである。手を前方に突き出して、体をぶつけないように慎重に、しかし素早く、ローリーは北塔から逃げ出した。

城の通路にたどり着き、自室としてあてがわれた部屋に入り、息を整え落ち着いて状況を分析する。その時、同室のサンダーが目を覚ました。

「ローリー様、申し訳ございません!」

寝ぼけて床に土下座するサンダーをなだめて、再び寝かせてやる。

グザールの禁を犯してしまったのではないか。その怖さもあったが、暗闇で見た謎の影の方が、よほど恐ろしかった。

システムは確かに、あれが人間であると告げていた。しかし、あれは一体…。


翌朝、ローリーとサンダーは、グザール城を辞した。

ローリーは昨夜の人影のことを、誰にも話せずにいた。侵入者の可能性も、ごくわずかあるが、グザール城といえば屈強な近衛騎士が大勢起居する、要塞でもある。防衛上の問題は早急に対処されているはずである。多少の後ろめたさを感じながらも、そのまま出立してしまったのだった。奇妙な体験が夢であることを願って。

事務所に戻るとバスチオン以下、皆が慰労してくれたが、やるべき仕事は膨大で眩暈めまいがするほどであった。

ローリーはすぐに総督事務所から、モンテス城に向けて出発しなければならなかった。メーヤーと見習いのロンも後に続く。

ローリーは様々な報告と事務処理のため。メーヤーは遅れていた長期休暇取得のためである。


騎士メーヤーは、コモドーと同様、小作農から騎士となった優秀な人物である。戦場に出た経験こそなかったが、収穫祭の取り仕切りや青年団のリーダーを務めており、人望があり地元で顔が効くという事で、褒賞騎士として分団の事務を任されていた。彼は前から畑仕事のため、長期休暇を申請していたが、急遽ローリーとともにグザールに派遣される事となり、麦の収穫時に農作業を手伝うことが出来なかった。そこで、麻の収穫に携わっている妻と息子を助けるために、帰省が許されたのである。彼の出身地はちょうど、モンテス領の端にあり、ローリーは護衛としてメーヤーを選ぶとともに、自分がモンテスで過ごす間は、メーヤーを帰省させるように取り計らった。

このところ、モンテスとグザールをつなぐ街道は交通量が増して人目に付きやすくなった。しかし、ローリーを襲撃した謎の追手の正体は未だつかめていない。ローリーは用心のため通行の多い時間帯を選ぶとともに、メーヤーは襲撃を警戒して大弓の訓練を受け、それを背負って出かけた。


「ローリー様にはお話ししていなかったのですが…私には息子が二人いて」

長い街道を馬に揺られながら、メーヤーが話始めた。

「上の子はもう、立派な働き手です」

ローリーは微笑んだ。メーヤーに息子がいることはすでに知っている。ただ、メーヤーは何事か言いたげで、ローリーはメーヤーが口を開くのを待った。

「下の子はローリー様と同じ年なんです。でも、生まれついて足が弱い子で。おかしいんですよ。足が動かなくて」

3人は木陰に馬を止めた。馬に水をやりながら、メーヤーが語る。ローリーは黙ってメーヤーを見つめた。

「あなた様よりずっと幼い、ただの子どもですがね。だんだん歩けなくなっていきます。それでもようやく大きくなってくれた。それだけで私は嬉しいんです」

メーヤーが自分の子どもについて話してくれるのは、初めてのことだった。

「モンテスの血統は、やはり並外れている。私はローリー様とお仕事をしていて、つくづく、そう思うんです」

「メーヤー」

「ローリー様は、愛馬と同じだ。気高く、勇猛だが、お優しい。でも私は、ただの荷引馬です。その子どもだって、当然そうだ」

メーヤーは笑った。ローリーはそんな彼を、黙って見つめた。

駿馬しゅんめでなくともいい。ただ、元気でいてくれれば…親は嬉しいものです」

メーヤーの丸い眼鏡が陽光を受けて輝き、その奥はわからない。しかしローリーには見えていた。メーヤーの長いまつげが形作る、優しい瞳が。

「僕が思うに、騎士とは剣をふるうだけではない。領民を見守り、導く存在です」

ローリーはそう言って、星の光号をひと撫ですると、その背にまたがる。

「あなたのような気配りと、優しさがなければ、総督事務所は運営できない。僕はそう、思っています」

「ありがとうございます。ローリー様」

右前方に、風車が見える。

「あの裏なんです。そういえば村長から風車の修理を頼まれていました」

二人は固く握手を交わす。

「分団長、しばしお別れです」

「お仕事、頑張ってください。みんなが待っていますね。強くて賢い立派なお父さんを。でも、僕だってあなたが必要なんだ」

「わかっています。ローリー様は本当に優しい方だ」

メーヤーは走り去っていった。ローリーとロンは、モンテス城へと急いだ。

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