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第10話 グザール領

風車を横目に、ローリーらは広大な農地に馬を走らせ続けた。5月の終わり。太陽は昇りきっていないが、今日はからりと晴れて暑い一日になりそうな予感がした。

グザールへと続く道には、栗の木が植樹されており、盛りの花が独特な香りを漂わせている。

ローリーらは木陰に入ると、少し早い昼食をとることにした。

蝋引ろうびきの包装紙を解くと、全粒粉ぜんりゅうふんのパン、ヤギのチーズが入っていた。モルスのおかみさんが用意してくれたお昼ご飯である。フリージアが玉ねぎを袋から取り出しスライスして、皆に配っていく。

「わしゃもう、ワインが恋しくなってきただよ」

「そんなこと言ったって、ワインは開けませんよ。手土産なんですからね」

ローリーは微笑みながらコモドーに告げた。皆が笑う。

「グザールに到着すれば、ねぎらいにコルトン産の一級ワインが飲めますとも。さあ、出発いたしましょう。このペースなら夕刻に間に合います」

パットはそう告げると、フリージアと共に馬車に乗り込んだ。

「さあ、おめえたち。もうひと頑張りだ。サンダーはどうしただね?」

コモドーがあくびをしながら、伸びをする。昨日は襲撃者を警戒して、4名の騎士は交代で不寝番ふしんばんを立てていたのだ。

「彼は用便ですよ。私たちも用を済ませておいた方がいい」

「用水路が干上がっちまってますぜ。馬に水をやりたかったんですが」

ブレーナーとメーヤーが馬を連れて戻ってくると、一行は再びどこまでも続く道を進み始めた。

モンテス領の西側には、北方山脈から流れる長大な河川かせんがあり、領内の人々は生活用水をその支流に頼っている。しかし、グザールには大きな川がほとんどなく、かつてモンテスとグザールは水資源の利用で対立した歴史を持っている。

現在はモンテスの水道橋や用水路が、農地とともに拡張され、グザールの重要な生活インフラとなっている。それでもなお、グザールの民にとって雨水は重要であり、干ばつには非常に弱い土地なのである。

グザールの歴史は、もともと略奪を繰り返していた武装集団が、傭兵としてブレイク王国に利用されるようになったときに始まる。荒くれ者たちを統制するために、ブレイク王室はその有力者をマヌーサ教に改宗させ、騎士としたのである。

グザール一世は、船に乗ってやってくる略奪者には船の上で、ステップからやってくる騎馬民族には隊列を組み弓で戦い、ブレイク王国の領土維持に高い功績を誇っていた。つまり、グザールはブレイク王国の軍事部門を担ってきた一族なのでる。

さらには、気性が激しいユニコーンを乗用に訓練してきた歴史がある。ローリーやその母、ヤグリスがユニコーンを駆る騎士であるのも、その血のなせる業であろうか。グザールはご存じの通り、政略結婚を通してモンテスとは協調関係にある他、馬の飼育や輸入、さらに鞍や鐙作成などを手掛けている諸侯と、つながりが深い。

グザール領は強大なインスール帝国と国境で接しており、現在は停戦状態にあるものの、最前線である。ブレイク王国とインスール帝国の覇権争いは、様々な国内問題を引き起こしていたが、それは今語るには冗長に過ぎるので、適宜てきぎ、述べさせていただく事にする。

田園風景が、いつしか街道筋に転じていく。そこは街道の左右に馬小屋を備えた宿屋が立ち並ぶ宿場町である。

一行はグザール領に到達したのだ。昼が長い季節とはいえ、すでに日は傾き、酒場はにぎわい、活況を呈していた。

若い御者が、馬車に騎士を乗せて迎えに来る。先にパットがグザールへ向かわせていた、ロンという見習いである。

「パット様、ご無事で」

「ご苦労だったな、ロンよ。今日の到着は伝えてあるか?」

「ええ、早ければ御一行が夜にもお着きになると、ハインス様に」

パットは頷いた。ハインスとはグザール公の執事である。

グザール領は、その中央に位置する城に向かって街道が何本も敷かれ、区画整理された都市である。

ここには以前、多数の騎士が駐屯していたが、現在は国境警備で騎士が不足している。そのため、犯罪組織が勢力を増し、治安が悪化しているのだった。

グザール城は小高い丘に建造され、古くは緩やかな坂に侵入を防ぐ城郭じょうかくが幾重にも連なった構造をしていた。しかし、今日に至るまでほとんど侵略が無かった上に、街道に沿って商業が発展し多くの人々が集まることになった。そのため、城郭は一部取り壊され、現在は延焼防止の防火壁の様な役割を果たしている。

ローリーらは城郭の点在する長く緩やかな坂を上っていく。酒場は姿を消し、代わりに厩舎、馬車や荷車の修理工場、馬具を扱う店、冒険団の案内所などが巨大な門へと続く道の両側に、軒を連ねている。

巨大な西門を抜け、中庭に馬たちをつなぐ。ローリーの周囲に飛蝶騎士団のメンバーが参集した。

「メーヤー、ブレーナー、サンダーは馬を見てください。でも星の光号は無理に連れていく必要はありません。荷物整理もお願いします。コモドーは着替えて、僕と一緒にグザール公に謁見します」

「はっ」

「今日は早くからお疲れさまでした。おまけにみんな、あまり寝ていないでしょう。仕事が終わったら、各自しっかり休んでください。明日は遅くから始めましょう」

全員、ローリーに敬礼する。

「皆のおかげで無事に目的地に着く事が出来た。感謝します」

空は薄暗くなりかけていた。ローリーとコモドーは、門兵の詰め所を借りて着替えを済ませると、バスチオン、フリージア、パットとともにグザール公との面会に赴いた。

グザール公は幼いころのローリーを知る老人であり、ヤグリスの祖父である。

グザール公は自身の息子、つまりヤグリスの父を不慮の事故で亡くし、それからというものの、孫娘ヤグリスに特に目をかけて様々な教育を施し、愛情を注いだ。事故の詳細を知るものは少なく、それについてグザール公は語ろうとしなかった。

グザール城は巨大で、ローリーの知るモンテス城よりも天井が高く部屋も広かったが、人手が足りないのか、ところどころで汚れが目立ち、匂い消しの香が大量に焚かれていた。

グザール公はローリーの父より若かったが、体力の衰えから自身の執務室にほとんど引きこもり、実質的な指示は全て執事長が執り行っているようであった。

ローリーらはその執務室に通された。一個人の仕事部屋といっても、そこは会議室の様な広さで20人はゆうに収まる広さである。窓の外はすでに暗くなっている。

「久しいねえ、ローリー。かように、立派に騎士になられたか。母上は、ヤグリスはどうかね?」

「お久しゅうございます、おじい様。母は、身に障りございません。おじい様もお元気そうで、何よりです」

ローリーは、グザール公が曽祖父にあたることを知っているが、おじい様と呼んでいる。ローリーは片膝をついた。グザール公は白いあごひげを撫でながら嬉しそうに首を振る。それは孤独で冷徹な老人が、気のおけぬ者にだけ見せる、静かな喜びのしぐさであった。

グザール公はローリーから手渡されたモンテス八世からの信書を読み始めた。

「うむ、ローリー殿にグザールの管区の一部を、とあるが」

グザール公はすぐに側近であるハインスを呼びつけた。ハインスは三十三歳の独身。グザールの執事長であり、近衛騎士でもある優秀な人物である。グザール特有の紺のスーツに身を包み、黒髪をきれいに七三に分けて口ひげをたくわえた、神経質そうな眼付きの紳士である。

「ローリー・モンテスに管区の総督を任せようと思う。ハインス、良い場所はないか。お前が手配するのだ」

「かしこまりました、陛下。明後日までに資料を御まとめしておきましょう」

ハインスはローリーらに向かって言った。

「ご一同様、本日はお疲れでしょうから、明日以降、ご相談を」

「ありがとうございます、ハインス様」

ローリーはグザール公とハインスに敬礼をする。

「ローリー・モンテス様。ヤグリス様から聞いておりましたが、想像以上にお若い。なんでもモンテスの歴史始まって以来の神童だとか」

ヤグリスは決して、表立って息子を褒めることはしない。しかし、ローリーは黙って話を合わせた。

「そう呼ぶ方もいらっしゃいます。しかし、僕はまだ騎士になったばかりで経験不足です。どうぞグザールの管区について教えてください」

「よい心がけです。明日、私の部屋においでください。お話しておきたいことがあります」

ノックとともにパットが入室した。

「陛下、失礼いたします。ローリー様、お部屋の準備が整っております。他の騎士の方はすでに荷物を運びこみました」

ハインスが頷く。

「ローリー様とお連れの皆様は、のちのち管区にある邸宅を使っていただきますが。今は仮住まいで申し訳ございません、ご容赦を」

「ありがとうございます。馬も僕たちも疲れました。今日はベッドで寝られるだけで感謝です」

微笑むローリー。その心に安堵が広がると、彼は心地よい疲労を覚えた。

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