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第18話 社交界へ

グザール公はローリーのために城の一階にある大会議室を、宴会場として飾り立てた。

グザールの官僚、各管区の総督、騎士や、周辺の有力貴族がこの日のために集められたのだ。

ローリーの総督就任を盛大に祝う事で、グザール公はモンテス家とのつながりを領内にアピールすることが出来るのである。

ローリーがバスチオンから事前に指示されていたのは、グザール領の有力貴族である、ヒース夫人らと親しくなっておくことである。

ヒース夫人は未亡人であり、夫の後を引き継いで金融を取り扱っている。彼女は他の貴族の夫人らと結託し、領内に独自の金融のネットワークを築きあげていた。

ところでグザールでは、貴族女性が金融を営むケースが多い。その理由は、ブレイク王国の信仰にあった。

金融を営む者は安い利息で借りあげて、高い利息で貸しつけるのが常態である。しかし、利息を付すことはマヌーサの経典で悪しき事とされているのである。

街の貸金業者は利息によって生活しているが、経典を重んじる貴族、特にグザール騎士階級は利息を取ることが絶対に許されない。

そこで、騎士である夫に代わって、夫人が事業資金を貸し付ける。しかし、この場合であっても利息という名目で金員を受け取ることはない。

夫人たちは寄付や、施しという名目でまず金員を貸し付け、事業が成功した際に返済を受けて、利息の代わりに御礼として金員を得るのである。

ブレイク王国の人々は、多様な交易により経済が発展するという経験則を有しているし、なにより寄付や施しは善行として奨励され、貴族の名誉でもあるから、このような一見不利な条件においても貴族は投資活動を積極的に行っているのである。

バスチオンの狙いは、ヒース夫人らが組織する、奉仕の水がめ共同基金にあった。


宴会まで間があるので、ローリーはまず、執事長ハインスの部屋を訪れた。第一管区の状況報告のためである。ハインスは一人、事務机で大量の決裁書類にサインを行っていた。

「ローリー様自ら、報告においでいただくとは」

羽ペンを置いて立ち上がるハインス。グザールブルーと呼ばれる、上等な紺の礼服に身を包んだ彼は、ローリーに一礼する。

「今夜は私も参加させていただきます」

ローリーは微笑みを返すと、ハインスに皮紐で括られた書類を手渡す。

「後で、読んでください。報告書です」

ハインスは頷いたが、紐を解いてバスチオンが書き上げた報告書を素早く読み始める。読み進めるにつれ、ハインスの驚きが大きくなっていく。

「ならず者どもと密約を結んで、治安部隊に組み込んだと?」

「え、ええ。確かに今、そのような状況であると、思います」

ハインスは腕を組んで黙ってしまった。ローリーは上目遣いにハインスの表情を探る。二人の姿はまるで、宿題を提出した生徒と、その教師といった風情である。ローリーが総督に就任してひと月も経過していない。バスチオン…切れる男とは思っていたが、相当なしたたか者であるらしい。ハインスはしばらくして、口を開いた。

「ギャングどもを手下として用いるなど、危うい状況であることに違いないですが、こちらも人員不足です。治安部隊の手綱を貴方が完全に握っていれば、それでよろしいかと」

「そうですか」

ローリーは胸を撫でおろした。ハインスは規律に厳しく融通の利かない相手と思っていたので、様々な言い訳を用意して、議論に備えていたからである。貴族社会の建前と、実を重んじる姿勢。その両面を切り替える柔軟性をハインスは有している様であった。

「今日のところは、これで失礼します。今日は、よろしくお願いします!」

ローリーは挨拶を済ませると、逃げるようにハインスの執務室を後にした。


宴会の時間が迫っていた。ここにきてローリーはグザールの大勢の知らない人々と会うのに、気後れしてしまった。グザール領にたどり着いてから色々な事があって、精神的に消耗していたせいもある。総督としてふさわしい振る舞いができるのか。また、バスチオンに言われた通り、貴族の夫人らに取り入ることが出来るのか。ふと隣に目をやる。傍らのサンダーもお仕着せのスーツで緊張している様子である。眉間には皺が寄り、瞳と口を真一文字に結んで腕組をし、一言も発しないのだ。まるで決闘に挑む男の姿である。ローリーは笑いをこらえた。そして、気持ちが軽くなっている自分に気づいた。僕には頼れる仲間たちがついている。いつも通りに過ごせばいい。

「サンダー?」

「はっ、ローリー様」

「どうか気を楽に。そのスーツ、とても似合っているよ。サンダーは体格がいいから、とてもカッコいい」

「はあ、光栄です。しかし、私が礼を失しては、ローリー様にご迷惑が」

「サンダー。あなたは騎士の模範だ。私たちが追手に襲撃されたとき、命を懸けて私を守ってくれたのは、あなただ」

ローリーは笑った。

「そんなあなたが、どうして僕に迷惑を掛けられるんです?」

サンダーは照れて目をそらした。

「身に余るお言葉です」

「僕も緊張していますが、行きましょう」

2人は控室を後にした。


宴会は、第七管区の総督、マイネン・グザールの乾杯で幕を開けた。

アコーディオンピアノの情緒あふれる音色が、部屋を満たす。グザールのアコーディオンは優雅で、軽妙で、そしてほんのりと哀しく、郷愁きょうしゅうを引き起こすのだと人々に語られている。

グザールで好まれる、発泡性のワインが次々と空けられた。

「ローリーのために腸詰ちょうづめをたくさん仕入れておいたぞ。好きなだけ食べなさい」

グザール公は好々爺といった体でワインを旨そうに飲んだ。ローリーは改めて、曾祖父に感謝の意を示す。

ローリーは、パーティーでいかに振舞うべきか悩んでいたが、それはまったくの杞憂きゆうであったようだ。なぜなら、ローリーが何もせずとも、乾杯とともに様々な人物が、次々に彼の下へ挨拶に訪れたからだ。客の中には、幼いころのローリーを知っている人物もいた。ヒース夫人もその1人なのである。

ヒース夫人は、巻き上げた金髪をきれいに飾り、黄色いドレスをまとったふくよかな女性である。左右それぞれに貴夫人を伴ってローリーに会いにやってきた。

「素敵なナイトね。いえ、総督とお呼びするのが良いでしょう。ご機嫌はいかがかしら、ローリー」

「お名前を憶えていただき、ありがとうございます。ヒース夫人」

「まあ、私を覚えていてくれているなんて!本当にさといお方ですこと。お母様は、お元気でらして?」

「ええ、今日はお目にかかれて嬉しいです」

ローリーは右手を胸に当てると深々と低頭する。騎士の婦女子に対する最高の礼である。ヒースがためらいがちに差し出したロンググローブの、右手の甲にローリーは口づけをした。

「私もよ。ローリー。こちら、紹介させてね。ヘザーとエリカ。私の大切な親友なの」

ヒースに促されて、小柄なヘザーと、長身のエリカが前に歩みでる。ローリーは同様に礼儀を尽くした。

「お母様にそっくりな美男子ですこと。モンテス公もさぞ、お喜びでしょうね」

「ヘザー夫人も母をご存じなのですか」

「ええ、一緒に乗馬をしたこともあるのよ」

そういって微笑む小柄なヘザーは、ヤグリスと同じ美しい赤い髪を肩で切りそろえた、童顔の中年女性である。

奥手なタイプなのであろう、青いドレスのエリカはにこにこと笑顔を絶やさなかったが、ローリーに自ら話しかけることはなかった。ローリーは後に、彼女は第七管区総督で次期諸侯候補と噂されるマイネンの細君さいくんであると知った。

「ローリー、どうか、これからもご懇意こんいに」

「もちろんです。若年ですが、頑張って総督を務めていきますから、どうぞ、お話があればお聞かせくださいね」

ローリーは安堵した。3人とも教養深く、親切な女性たちだ。これなら自然に、基金からの援助を申し込むことが出来る。

「ところで…」

「ローリー様」

ローリーとヒースが同時に口を開く。ローリーはにこやかに先を譲った。

「ローリー様に、お伝えしたいことがありますの。でもよい知らせと、悪い知らせがあるのだけれど。どちらからお聞きになる?」

ローリーの心に一抹いちまつの不安が宿る。

「で、では、良い知らせから」

「そう、良い知らせとは、もちろん、今日のこの出会いによって、私たち奉仕の水がめと、ローリー総督の間に、永遠の友情が結ばれたことですわ」

ヒースの顔は心からの喜びに輝いている。ローリーにはそれがかえって、悪い予兆に感じられた。

「では…悪い知らせとは?」

「そう、第一管区総督事務所には未だ、借金が残っています。その事をどうしても、お伝えしなければならないわ」

「えっ、借金!?」

ローリーは思わず口走ってしまった。これは初耳であった。当然、ハインスの資料にはない情報である。前任者が内緒で借りた金であることは疑いようもない。

「い、いかほどですか?」

先ほどまでの取り繕ったローリーの態度は跡形もない。その姿はまるで、女教師に叱責しっせきされる生徒といった風情である。

ヒースとヘザーが同時にエリカを見やる。エリカが静かに答えた。

「借用書を持参しておりませんが、だいたい、合わせて1500万シュケルほどだったと」

ローリーはショックに言葉を失い、助けを求めるように後方に控えるサンダーを顧みた。サンダーには会話の内容がほとんど聴こえていなかったらしい。勘違いした彼は、ローリーに爽やかな笑顔でサムズアップを返した。

神童とは言え、ローリーは騎士となったばかりの八歳。社交界においてはヒース夫人の方が、役者が一枚上のようである。

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