それはちょうど、ローリーらがグザール城に到着した次の日の、夜の出来事であった。
街道筋の酒場、夕焼け亭でギャングが連れだって酒盛りをしていた。酔った下っ端が客に因縁をつけ始め、止めに入った店主が暴行を受けた。店主の息子は、父をかばってギャングに抗議したが、最後に彼は表に連れ出されてリンチを受け、その日のうちに亡くなったのだった。
後日、この殺人事件について、夕焼け亭の店主は、ブレーナーに案内されローリーの総督事務所で聴取を受けていた。店主は最初、他人事のようにその日の出来事を一気に、そして淡々と語った。
「心中、お察しいたします。」
長い沈黙の後、とうとう、バスチオンが口を開いた。ローリーは黙って店主を見つめることしかできない。
「神様は、残酷ですよ」
店主がぽつりと言った。
「あいつは、いい子でした。かみさんのいねえ、私を助けてくれた。毎日毎日…働き者でしたよ」
「酒業ギルドの保険金は、お受け取りになられましたか?」
バスチオンの問いに、店主は首を横に振った。真面目でおとなしい店主の瞳はいつしか、怒りに燃えていた。震える唇から、言葉が次々にあふれ出した。
「まだですよ。なにしろ、あいつの
「おやじさん…」
「あいつはまだ!これからのっ…」
店主は言葉に詰まって、しゃくりあげるように泣き始めてしまった。無念の涙だった。ローリーはかける言葉を持ち合わせなかったが、その心の中、何かに灯がともった。
さて、グザール領第一管区には前述のとおり、3つの犯罪組織が存在する。そのうちで最も暴力的であり、恐れられているのがドラゴン団である。ドラゴン団のリーダーはガリウスと呼ばれる三十代の男性である。彼はとある小作農の三男としてグザール領に生を受けた。長男は借地権を相続し、受け継いだ土地で何とか暮らしていたが、干ばつが引き金となって全てを失った。その影響でガリウスは次男とともに
ガリウスはこの戦場で、暴力による人心
遂には上官を殺害し、数人の手下とともに部隊を脱走したガリウスは、数年間、港湾都市に身を潜めて後、ここ第一管区でギャングとして勢力を広げていったのである。
グザール生まれの者に多い赤い髪を、オールバックになでつけたガリウスの顔立ちは一見、理知的に見えるが、そのぎらつく眼差しはやはり捕食者のそれなのである。公然と武装し、グザール騎士らとの対立も辞さないガリウスを、死神団やカラス団はかねてより危険視していたのだった。
死神団のリーダー、グィンはガリウスといずれは決着をつけるつもりでいた。そのような状況の下に、突然、第一管区の秩序を求めてローリーらが現れた。
こうして長いゲームが始まったのだった。
誰が勝つにせよ、すでにカードは配られており、決着がつくまで離席は許されない。
ご存じの通り、グザール第一管区は最大の商業地域であり、歓楽街でもある。ここでの酒場の経営は多くの富が転がり込んでくる反面、リスキーでもある。荒っぽい労働者、けんかっ早い騎士たち、それに武器を持ったギャングなどなど、
ガリウスもまた、そんな酒場を食い物にしているごろつきの一人であって、第一管区の用心棒を自認し、昼頃には手下を引き連れて
昼間の酒場では、労働者たちが食事をしている。彼らの食事は往々にして、貴族の屋敷から出される残飯である。残飯とはいっても、専門の買い取り業者がおり、食品市場として成立している。労働者にとってそれは手ごろで美味な栄養源なのだ。
黙々と食事をしている労働者たちは、
真ん中の広いテーブルがさっと空いて、ガリウスらは当然といったように、そこを陣取った。
「親父、何かうまいものはあるか?」
「へえ、ありますとも、少々お待ちを」
酒場の従業員はすぐに店主を呼びに行った。が、誰も帰ってこず、酒場は静まり返ってしまった。
「おい、誰か酒を持って来てくれ。こっちは暑くて喉が渇いてるんだ」
ガリウスが呼びかけたが、店内の誰からも応答がない。
「おい、聞こえないのか!誰か飲み物を持ってこい!」
ガリウスの怒声が響く。すると、カウンターの脇から店番らしき少年が盆にコップを載せて慌ててやってきた。ガリウスと手下3名にそれぞれコップを配る。ガリウスは一口飲むと、けげんな顔をした。
「何だこりゃ?まずいワインだな。おい!」
コップをテーブルに叩き付けると液体が跳ね上がって、ガリウスの腕やテーブルを汚した。すると少年はうつむいたまま、ぼそぼそとしゃべった。
「ならず者にはお似合いの安酒ですよ。お代わりはどうですか?」
「…?おい、ガキ、死にたいのか?」
ガリウスの顔面に
「やってみなさい。お前はこのあいだ、店番の子どもを殺したな?」
ガリウスは突然、立ち上がった。椅子が派手な音を立てて倒れる。盆を放り投げて逃げ出す少年。ガリウスはそれを追って店の外に飛び出した。
「待ちやがれ!ぶっ殺してやる!」
表に飛び出たガリウスであったが、すぐに異常を察した。酒場のぐるりを、死神団の構成員が包囲している。さらに3名、武装した騎士が槍を構えてガリウスに向けているではないか!
突如、店内から男の叫び声が上がった。ガリウスが引き返すと、部下たちがすでに殺害されており、剣を手にした騎士が3名、ガリウスを追い返すように前に出て来た。
「お前がガリウスだな?表に出ろ。抵抗すればお前を殺す」
騎士サンダーが静かに言い放った。店の前はすでに人だかりが生じていた。中央に先ほどの少年、ローリーがいて、老騎士が鎧を着せている。ローリーはガリウスに向かって口を開いた。
「ドラゴン団と名乗る違法組織、その元締めである通称、ガリウスよ。お前には様々な余罪があるが、直近では殺人を犯しているな。間違いないか?」
少年が声を張ってガリウスに詰問する。先ほどのこそこそとした鼠のような雰囲気から一変し、まるで上位審問官のような言い様である。
「答えろ!」
ローリーはガリウスを睨んだまま、左手で腰の剣に手をかけた。ガリウスは状況が呑み込めない。
「てめぇ、一体何者だ?」
「控えよ!下郎!このお方はグザール領第一管区総督、ローリー・モンテス様であるぞ!」
騎士コモドーが手にした槍でガリウスを突くようなしぐさを見せた。
「何ィ!?」
「ガリウス、もう一度聞く。二週間前、夕焼け亭の店番の十六歳の少年を殺害したな?何の罪もない、少年を」
ガリウスは周囲を見回した。ドラゴン団の他のメンバーが見当たらない。ようやく、自身が罠に掛けられていたことを知る。
「グィンの野郎…
「ガリウスよ。心せよ。マヌーサの裁きの前では、沈黙は
ローリーはゆっくりと剣を抜いた。その言葉もまた、きらりと光る刃先のように鋭い。普段、優しく柔和なローリーとは、もはや別人なのである。
観衆は、どこかで響く雷鳴を耳にした。