今や交渉の全てが、ブレーナーの手に委ねられた。
彼は震える指でカードを一枚ずつめくっていく。しかし、その数字はてんでバラバラ…いや、スペードで絵柄がそろっている!役はフラッシュ。場で最も高い役である。
「なにっ!?」
「やりましたね、ブレーナー」
ブレーナーは25枚ものチップを手にする。大勝利である。グィンの部下はチップすべてを失い、ゲームから外れる。
「分団長、ギャンブルはもうこりごりですぜ」
ブレーナーは口をゆがめて、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべる。しかし、テーブルに置かれた指はいまだ震えていた。
ブレーナーは自身の運に賭けたのではない。ローリーの言葉に賭けたのだった。ローリーはモンテス城では神童と呼ばれていた。それは彼が驚異的な記憶力を持っていたからである。ローリーはシャッフル前に、念入りにカードを調べていたような気がする。仮に、ローリーがトランプの並び順を把握していたなら?それは到底ありえそうにない考えであったが、ローリーのまっすぐな眼差しは、勝負への自信に満ちているとブレーナーは感じたのだった。
「お前らを見くびっていたかもしれねえな」
グィンはローリーを睨みつけた。
「なかなか運の太い野郎だ」
グインはカード束をまとめて、軽く慣らすと、二つの束に分けて鮮やかなシャッフルを見せた。
ローリーに手渡す。ローリーはカードをパラパラとめくって、素早く1枚ずつ確認する。
「52枚。間違いありません」
バスチオンに手渡した。
「まちな」
グィンは低いが鋭い声で呼びかけた。
「執事さんよ、上着脱いで
「かしこまりました」
バスチオンはスーツの上衣を脱いで軽くたたむと、ローリーらが剣を置いた隣のテーブルに置いた。尻ポケットから白い手袋を取り出すと、装着してからカードをテーブルの上でディールシャッフルしていく。
「手袋着装でイカサマをするのは、難しゅうございますな」
グィンはバスチオンに注意を払いながら、ローリーを横目に観察した。賭けの当事者であるはずのローリーはテーブルではなく、ぼんやりと上の方を見ているではないか。拍子抜けするとともに、グィンは違和感を覚える。こいつらはイカサマをしているかもしれない。しかし、それはカードのすり替えとか、通しのサインとか、そんなちゃちな芸ではなく、もっと洗練された大掛かりな…しかし、彼には想像もつかない。だがローリーのしぐさは明らかに、ポーカー初心者のそれなのである。やはり、警戒すべきはこの老執事。先ほどと同じように、グィンは不安を捨てて勝負に集中した。初戦で奪ったアドバンテージはすでに失われている。グィンの中で闘志がギラギラと輝き始める。
バスチオンは最後にカードを4,5回すばやくシャッフルしてから配り始めた
グィンのハンドは、スリーカード。悪くねえ。こいつで勝負に出てやる。ギャンブルでコケにされたことが、彼を攻めの姿勢に転じさせていた。
グインはカードを二枚チェンジ。なんと再び、フルハウス!彼は驚きを隠すのに苦心する。イカサマなんぞを使うまでもねえ。俺は運の太い男さ。
ブレーナーは再び5枚チェンジ。表情は真剣そのものである。
さて、ローリーは手札を見ながら悩んでいる。
「うーん、3枚、いや3枚はよく無いなぁ。バスチオン、2枚ください」
バスチオンは頷き、素早く上から3枚をのけて、その下から2枚をローリーに渡した。これはアンダーディールと呼ばれる完全なイカサマである。ハンドを見てにこりと笑うローリー。少年と執事、ぶっつけ本番のステップ。しかし息はぴったりだ。
ローリーは3枚掛ける。もう残りのチップは1枚である。ブレーナーは10枚掛ける。
グインも勝負に乗ってきた。9枚すべてのチップをかける。彼は考えた。ローリーは3枚か2枚チェンジで悩み、さらにチップを全て賭けてはいない。もしローリーの初手がスリーカードならば、ゲームに慣れていない少年は、即、2枚チェンジしただろう。悩みを見せたという事は、おそらくはフラッシュを狙っている。しかし、仮にローリーがフラッシュを完成させたとしても、それはグィンのフルハウスよりも弱い役なのだ。一方のブレーナーは確率的に言ってもスリーカードがせいぜい。グィンは手堅い勝負だと自信を持った。自然と
「騎士さんよ。まぐれが二度続くと思ったら、大間違いだぜ」
ブレーナーがハンドをテーブルに叩き付ける。スリーカード。周囲がどよめく。グィンは笑みを隠し切れない。
「残念だったな」
グィンがフルハウスの手札をオープンする。ブレーナーが
「まだ決まっていません」
バスチオンの発言に、場が静まり返った。バスチオンを睨みつけるグィン。バスチオンは笑顔で応じた。
「グィン殿は、悪魔と賭けをしたことが、おありかな?」
「…てめぇ、何が言いたい」
「ローリー様どうぞ」
ローリーにギャラリーの視線が集中する。
「ええ、ようやく、運が回ってきました」
ローリー、オープンハンド。手札は、フォーカード!フルハウスより一段階上の役である。周囲がざわつく。メーヤーが無言でガッツポーズをとる。
「何ィ!?」
「キングのフォーオブアカインド。決まりましたな。ローリー様にこそ、ふさわしい役だ」
なんてこった。こいつらイカサマをやりやがったな…しかしグィンは言葉を飲み込んだ。その証拠、痕跡すら掴めない。完敗であった。椅子に深くもたれる。これは運命というやつなのか。
「教えてくれよ、総督さんよ。どんな手品を使ったんだい?」
ローリーは首を横に振った。そしてまっすぐにグインを見つめた。
「グィンさん、残念ですが、それにはお答えできません。ただ、私はあなたに実力を示したかったんです。我々が、あなた方と共闘するにふさわしい存在だと、証明するために」
グィンは深くため息をついて、何度も頷いた。
「約束は約束。俺の負けだ。さて、何が望みかな、総督さんよ」
ローリーが席を立って右手を差し出すと、グィンは握り返してきた。
ほっとして、肩の力を抜くローリー。ちらと右上に視線を送る。青白く光るシステムのディスプレイは、場に積まれたカードの順番を正確に表示し、次のシミュレーションの条件付けを待っていた。ギャンブルの結果は、すべてがそのシミュレーション通りだったのだ。これを使えば、ちょっとした小遣い稼ぎができるかもしれないなあ…。ローリーの心に邪な思いが生じたが、それはすぐにマヌーサへの
「
バスチオンは優雅に上着を広げて、羽織る。
「やれやれ、出頭ですか。いいワインを用意しといてくださいよ」
グインの顔にはすでに、余裕のある不敵な笑顔が戻っていた。
「グィン殿は死神団の頭領として恐れられているが、そんな貴方を義賊という者も多いですな」
去り際にバスチオンが訪ねた。
「そんな御大層なもんじゃねえよ」
「この第一管区、いや、この街に愛着がおありなのですか?」
グインは目を伏せた。この男にしては珍しい、神妙な面持ちである。
「愛着?そうな、あるかもしれねえな。俺は生まれついての犯罪者だ。そんな俺でも、この街には世話を焼いてくれる人がいたものさ」
バスチオンは事前にグィンという男について調べ上げていた。幼少時はグザールの教会が運営する孤児院で過ごしていたという。
「執事さんよ。もし、今、戦争が起きたとしてみねえ。男は死んで、女は子どもを捨てる。それで、残された子どもだけが、生きていかなきゃならないとするさな」
グィンは笑顔を作った。何気なさを装ったのだろう。しかし、唇は哀しくゆがんだ。
「そんな子どもたちは、死ぬか、犯罪者になるか、どちらか一方を選ばされることになる」
…死を選ぶ奴が多かったな。グィンは心の中でつぶやいた。誰にも聞かれたくない話だった。今はもう、自分の心の中にだけ存在する、死んでいった仲間。彼らを売り渡すような気がしたのだ。
バスチオンは目を閉じて頷いた。
雨が降り始めたので、ローリーらは足早にカモメ亭を去った。