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第11話 ローリー、総督となる

明朝、ハインスは自室にて準備を済ませ、ローリーの来訪を待っていた。窓の外からヒヨドリの鋭い鳴き声が響いてくる。ここのところ、グザールの天候は安定していたが、街の人々は水不足を懸念けねんしていた。

「今まで八歳の騎士が管区の総督を務めた例は見つからない。モンテス公はよほど、ご子息に信頼を寄せているらしい」

ハインスは組んだ右手で顎を触りながら窓の外を見つめていた。その傍らに、身なりの整った若い騎士が控えている。

「人事異動ですか?せっかく問題を処理できたと思ったら、またまた面倒な事務仕事ですか。兄上」

「なに、空いたピースに新たなピースをはめ込む。それだけの事」

ハインスは視線を向けずにつぶやいた。

「まさか、第一管区に、モンテスの御子息を?それはいくらなんでも…」

言いかけて、若い騎士は納得した。なるほど。新たな総督が領地管理に根を上げたところで、兄上が助け舟を出すと。そうすれば、モンテスに借りができる。ローリー・モンテスを以後コントロールできる。ハインスは職務に対して誠実であったが、同時に狡猾こうかつな男である。彼の手法を誰よりも近くで見てきた若い騎士は、兄のやり方を、その影響力の広げ方をよく知っていた。

そのとき、ノックの音がした。どうぞお入りくださいと、若い騎士が扉を開ける。

ローリーとバスチオンが一礼し、入室した。

「昨日はよく休まれましたか?ローリー様」

「ええ、とても。ご厚意に感謝します」

「早速ですが…まあ、おかけください。執事の方もどうぞ。バスチオン殿。あなたの仕上げた律法論は、わたくしも拝見いたしましたよ」

ハインスが右手を差し出すと、バスチオンも応じて握り返した。ハインスの言葉ぶりにはどこか挑むような響きがある。

「恐縮でございます」

「ところで、グザールではコーヒーを飲みます。コーヒーはご存じですかな?」

ローリーは首を横に振った。

「お口に合うといいですね」

呼び鈴でメイドに指示を出してから、ハインスは棚に収まっていた大型の地図を取り出した。グザール領の簡単な区画図である。

「グザール領は中心、つまり城に近いほうから七番、外側に行くにつれて番号が若くなっていきます。ここが一番。第一管区は現在、総督不在でこちらとしても悩んでおりました」

グザールは右はインスール帝国、左は統治権の及ばない自由港湾都市と、特殊な位置条件に領地を持っている。

第一管区。ここは元は最前線であり、駐屯地があった。そののち、自由港湾都市が栄えてからは治安維持部隊が駐留していた場所である。さらに街道が交差するため、宿や酒場が並ぶ歓楽街があり、交易品の取引も盛んな商業地域でもある。

「非常に難しい場所です。政治経験のないローリー様には、荷が勝ちすぎますかな」

ハインスは言い放った。ローリーはその言葉をありのままに受け、頷く。

「ハインスさん。総督をしていた前任者について知りたいのですが」

更迭こうてつされました」

「その理由は?」

「汚職です」

ブレイクの騎士礼式においては、騎士は王より賜るたまわ報酬以外には、職務の見返りを求めてはならないとされている。もちろん、半ば形がい化した取り決めではあるが、わいろの受け取りや借金などで問題が大きくなると、騎士である統治者や官僚はその地位を失う慣例となっている。

メイドがノックとともに、4名分のコーヒーを盆にのせて運んできた。何とも言えない、香ばしさが部屋に満ちた。若い騎士はカップを受け取ると立ったままコーヒーを飲み干した。

「自由港湾都市を堕落の都市という者もあります。しかし、香料などの舶来品にはやはり、抗いがたい魅力がある」

ローリーはそのかんばしくも黒い液体をすすり、眉をひそめた。

「いかがですかな?」

ハインスは初めて笑顔を見せた。

「そうですね、これは、まるで煎じ薬の様な…」

「私もそう感じました。初めての時はね。でも今では朝にこれが欠かせないのです」

「おいしゅうございました」

バスチオンが飲み終えたカップをテーブルに置いた。ハインスは楽な姿勢を正すと、応接机に肘をついててのひらを組んだ。

「話を戻しましょう。現在、人員不足のため治安維持部隊の配備が難しくなり、ギャングが実質的に第一管区を支配している状況です。それらが表立ってグザールの騎士に手向かってくることはございません。しかし、奴らは主に不名誉騎士、逃亡兵、冒険団などで構成されている。おそらく戦争の状況やグザールの懐事情ふところじじょうなど、多くの情報を得ている。そのため扱いにくく、手なずけるのが難しい連中です。当然、駆除することも難しい」

グザール領では騎士以外の者が武器を帯びることを禁じていたが、ギャングの中には公然と武装しているものもあった。ハインスにはローリーの内面の動揺が見えるようだった。

実のところ、ハインスはローリーがすぐに泣きついてくることを見越して、治安部隊の編成をすでに進めていたのだった。彼はローリーをコントロールするためのシナリオをすでに完成させていたのだ。ハインスとてグザールの若き天才と呼ばれた男である。ローリーはもはや彼の子どもといってよい若年ではあるが、彼は無意識ながらに競争心を抱いていた。

ローリーは思わず不安げにバスチオンを見やった。バスチオンはいつもの様に微笑み、頷く。

「なるほど。確かに難しい場所のようです。さらに人的支援も期待できないとあっては、グザール公の、いえ、ハインス様の格別のお力添え無くして管理は務まりますまい」

ハインスは表情を変えず、バスチオンを見つめた。

「まずは第一管区の最新の情報を分析させていただきたい。おそらく、経済規模は大きな管区でしょう。問題点は多岐にわたる一方で、資金を投入すれば解決できる事も多い。どの程度、資源があるのか把握しておかねば」

ハインスは自身の机から皮で装丁された書類入れを取り出してきた。

「そうおっしゃると思って、ご用意しておきました。過去五年分の公租公課こうそこうか、つまり収入と、公共事業などに関する支出をまとめたものになります」

グザールでは管区ごとに財政的裁量を大きく認めている。それは逆を返せば、管区の問題はある程度、管区それ自体で独立して解決せねばならないという事でもある。

「ご用意、大変助かります。さすがはグザールの若き天才と呼ばれたお方だ」

バスチオンは書類入れを受け取ると、ハインスに微笑んだ。

「この程度の資料が問題検討の前提になることは、天才でなくとも容易に想像可能です」

ハインスはバスチオンをちらと見やると、ローリーに向き合った。

「後で第一管区を担当している書記官と勘定係を紹介いたします。詳しい実務は彼らにお問い合わせを」

「ありがとうございます。ハインスさん、頑張ってみます」

「期待していますよ、ローリー様」

昼食を済ませたローリーらは、ハインスの弟で近衛騎士である、セレストの案内で第一管区の総督が起居する邸宅に案内された。

二階建ての大きな屋敷で隣には厩舎も備えてあり、朝夕に地元の騎士3名が警備に立つ。

広々とした過ごしやすそうな館であったが、家具や寝具などの一部が持ち去られており、あまり生活感が見受けられない。

「借金のため処分してしまったようです」

セレストが告げると、ローリーは頷いた。長引く戦争のため、グザール領全土で税負担が増加しており、各地の総督らは借金をして公共事業を進めている様だった。ローリーは資料を分析してみて初めて、自らの重責を意識したようだ。しかし、グザールで最も巨大な管区を任されるという事、それは名誉なことであり、同時にやりがいのある仕事であることも理解していた。

こうしてグザール領、第一管区総督、ローリー・モンテスの領地運営が遂に始まったのだった。

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