高く上がった5月の陽光は、容赦なく馬たちを焼いた。用水路には雪解け水がまだ流れており、木陰を見つけては休み休み、ローリーらは旅をつづけた。途中、ローリーの星の光号が、2頭の馬を連れて前方から戻ってきた。
ローリーは笑顔を浮かべながら、愛馬の首を抱きしめ、たてがみを撫でてやる。
「お前は必ず戻ってくると思ったよ。それに馬を連れてきてくれるなんて。なんていい子なんだろう」
星の光号は嬉しそうに鼻を鳴らしてから、用水路の水を飲みに行った。
人的被害はなかったものの、馬車が1台失われてしまった。バスチオンは代わりにパットの部下が繰る馬車に同席した。
「ローリー様のご指揮は、まったくたいしたもんじゃて。あの山賊ども、さぞ肝を冷やしたじゃろうて」
「僕の部下は、皆、
このようなセリフはバスチオンの受け売りであるが、少年は心を込めて語った。ただ誰もが、謎の追手が訓練を受けた騎士である事を承知していた。ローリーは何か大きな陰謀に巻き込まれているのではないか?しかし、それを口に出す者はいなかった。
ローリーら一行はモルスという地主の館を目指して馬を走らせ、昼過ぎにそこへ到着した。
全員食事をとっておらず、また水も不足していたので、館の主人が歓待してくれたことは本当にうれしかった。
「モンテスのぼっちゃまがおいでくださるとは、うれしいことです。」
モルスは小太りで老け顔の男で、農作業を他人に任せて久しかったが、勉強熱心でまじめな農場主であった。
彼の館は貴族のそれと異なり華美な印象はないが、同じくらい広く、掃除は行き届いていて、過ごしやすそうであった。
「ローリー様は先日、覚醒の儀式を無事終えられた。もう騎士でございます」
バスチオンがモルスに笑顔で告げた。
「へえ、そりゃそうでしょうとも!ぼっちゃまこそ騎士の中の騎士でございやしょう!」
主人があまりお世辞を言うので、ローリーは苦笑した。道中に馬車を失った、その訳を聞いたモルスは憤慨した。
「領地の境は山賊どもがうろついておりやす。しかしモンテスのぼっちゃまを狙うとは、なんという極道もんでしょうか」
騎士達は配られた水を馬のように飲み干した。
「モルスの旦那。ご厚意に感謝いたします」
礼を述べたメーヤーの後ろに、モルスは知った人を見つけたようだった。
「ああ、コモドー!コモドーでないか!」
「モルスの旦那、お久しぶりでごぜえやす」
「コモドーさん、よくぞぼっちゃまをお守りくださいましたなあ!」
「へへっ、ならずもんどもを、お母ちゃんのお腹ん中まで、追い立ててやったでがすよ」
モルスとコモドーは笑いあった。コモドーは
「モルス様。この人数で本日滞留可能でしょうか」
バスチオンがモルスに尋ねる。
「ちょうど大丈夫でがすよ、執事様。あと一週間もすれば麦刈りの働き手が大勢寝泊まりしますがね」
「助かりました。これを御用にお使いください」
「こんなにいただいて、ええもんでしょうか」
「我々は急いでおります。何かとご無理申し上げることがあるでしょうから」
「合点でがすよ」
モルスの側にメイドが寄っていった。
「お手伝いいたしますわ。ローリー様の側仕えのフリージアと言います」
「よし、じゃあ、寝室を案内しますだ。二階になります。あっしの家族もおりますがね。部屋を片付けといて、ちょうどよかった」
ローリーらは木陰に馬をつないでおき、一面の麦畑を見ながら遅い昼食をとった。モルスの女房が、その息子とともに給仕をしてくれた。
木の実入りのパイに、瓜にはちみつをかけたデザートが大量に出て、食後には用水路で冷やしておいた白ワインも出た。
「おかみさんに明日の弁当をたのんでおきました。明朝、夜明けとともに出発しましょう。」
バスチオンの提案にパットがうなずく。
「雨さえ降らなければ。夕刻までにグザール城に間に合います」
「パット殿は鳩を二匹、ご持参でしたな」
「ええ、鳩は無事です。使いましょうか?」
「念のために」
パットはモンテス城に赴くときには必ず鳩を何匹か連れて来る。それに手紙を持たせて放てばグザールに帰っていくので、連絡が可能だ。不確実な手段ではあったが。
腹を満たして一段落した騎士達は、馬車の荷物の確認に表に出て行った。一台目に大弓などの装備を残しておいたことは幸運であった。
馬車を失った若い御者は、パットから金を受け取るとその指示を受けて、先にグザールへと出立した。
「ローリー様、失礼します」
フリージアがローリーの部屋に入っていく。午後の時間はゆっくりと過ぎていった。一行に割り当てられた部屋は全部で3つ。騎士たち4人の部屋と、バスチオンとパットの部屋。そして、ローリーとフリージアの部屋であった。
「ローリー様?」
ローリーは下着姿でベッドに大の字で
そっと隣に腰かけるフリージア。ローリーは、フリージアを年の離れた姉のようなものだと思っている。フリージアは女ばかりの5人姉妹の4番目の十六歳。男の子がどういう生き物なのか、よくわからない。我知らず、ローリーのオレンジ色の髪に触れる。
「お風邪をひきますよ、ローリー様」
小さな声でつぶやく。ローリーの顔を見つめているうちに、胸が高鳴ってくるのを感じる。フリージアは、かつてローリーの母であるヤグリスに言われたことを思い出していた。過去が、セピア色の情景となって再現されていく。
「おまえはよく気が利くし、働き者で、器量よしね」
「そんな、光栄です、ヤグリス様」
フリージアは恥じらうと耳と首元が朱くなる。少しうつむいた表情に、年頃の娘の色香が漂う。
「フリージア、恋人はいるの?正直にお答え」
優しい笑みを浮かべたヤグリスに、フリージアは答えた。
「恋人なんて、私は。とんでもないです。毎日忙しくしておりますから」
「そう。ねえ、フリージア、ローリーはもうじき成人します。あれがもうすこし、年頃になったら、お前が男女の作法を教えてやって」
フリージアはしばらくその意味を考えていたが、次第に耳が朱くなっていった。
「そんな…私なんて」
「お前がその気になれば、の話ですよ。ね?いい?ただ、身持ちは固くしておいでなさい」
ヤグリスは微笑んだ。あの美しい笑顔が忘れられない。奥様は私をからかわれたのだろう。そう思っていた。でも奥様は一度でもご冗談を、私におっしゃったことがあっただろうか。
あの日以来、ローリーを妙に意識せずにはいられない、フリージアなのである。
年の離れた姉弟とも見える二人。その部屋にいつしか、柔らかい西日が差していた。