日の出前、その静寂を引き裂いて、馬車道で激しい駆け引きが続く。
馬を射られれば、全てが終わる。サンダーはともかく最後尾の馬車を盾にしようと、速度を上げる。凄まじいスピードで、追走劇が繰り広げられていた。このままでは、馬の体力が保たない。ましてや、馬車はスピードを上げることが難しい。もしローリーらが速度を落として、包囲されれば、飛び道具で容易に制圧されてしまうだろう。敵はかなり訓練された兵士である。状況はどんどん悪化していった。
森の道は悪路であり、しだいに
サンダーは、はっきりと恐怖を覚えた。馬が疲労で止まってしまえば、馬車に乗り込んで、それを盾にしながら戦うしかない。
速度を上げて、最後尾の馬車に接近するサンダー。ふと、隣の御者席を見ると、そこにはバスチオンではなく、ローリーが座っていた。
「ローリー様!?いつのまに?」
驚くサンダー。ローリーの乗騎であるユニコーンは、無人で先頭を走っていた。
「サンダー、前に出て下さい!これで道を塞ぎますから!」
サンダーは、ローリーの言わんとすることの意味が分からなかった。
ローリーは小剣を抜くと、馬車と馬たちを繋いでいる鉄製の結合部品、それを縛っている太い縄を手早く斬り始めた。
切れ目を入れると縄はみるみる細くなり、馬と馬車が切り離されようとしている。タイミングを合わせて、ローリーは素早く、鞍もあぶみもない馬に飛び乗った!
「ローリー様!」
走っている馬に飛びつくなど、自殺行為に等しい。しかしローリーはそれをやって見せたのだった。その時、サンダーはローリーの考えをとっさに理解して、スピードを上げた。
馬と完全に切り離された荷引き馬車は、ガクンと大きく傾いて、横向きに滑り出し、荷物を乗せたまま敵に突っ込んでいく。いや、正確に表現するならば、敵騎手たちは道を塞いでしまった馬車に突っ込んで行った!
2頭の馬が馬車に激突し、つんのめるように転倒する。後方の騎手は慌てて回避しようとするが、間に合わず、さらに1頭が突っ込んでいく。大事故である。
「ローリー様、なんとご無体な!」
ローリーに並走しながらサンダーが話しかける。ローリーを助けようにも手が出せない状態である。
「サンダー、このまま森を抜けよう!君が先頭に立ってくれ。僕なら大丈夫!」
サンダーは馬の首にしがみつくローリーの身を案じたが、ともかく、森を抜ける事にした。馬の速度を緩めると前後の揺れが収まり、サンダーも太腿の力を抜いた。辛くも敵を封じたが、大弓を持った騎兵が追って来ては一巻の終わりである。馬たちは滝のように汗をかいていたが、まだなんとか走れそうだ。ともかく、見晴らしの良い場所に出なければ。
「かしこまりました!ローリー様、ご無事で!」
サンダーは他の騎士らと合流し、馬車を先導する。
ローリー様は、瞬時に状況を把握し、不利な状況を逆手にとって、逆転の一手を指されたのだ。なんと言うお方だろう。サンダーは身をもって、ローリーが神童と評される理由を知った。
この襲撃で食料品を積んだ最後尾の馬車を投棄してしまった。そのうえ、馬にだいぶ無理をさせてしまったため、予定を変更しなければならない。それに、ローリーは鞍にまたがっておらず危険な状態である。
森を抜けると、広大な麦畑に出る。馬車が速度を落とし、ローリーの周囲に騎士たちが集まる。馬車から切り離された2頭の無人の馬が、前方に走り去っていく。その後ろを、同様に主のいない星の光号が追って行った。
「集まれ!」
コモドーが号令をかけると、3名の騎士が馬から降りて集合した。馬たちは鼻息荒く、その首が汗に濡れてキラキラと輝いている。
「戦闘配置、密集陣形!」
掛け声とともに、騎士たちは先頭の馬車から急いで木製の盾と槍を持ち出して、再びローリーの周囲に集まった。森の方角を見据えている。追手を警戒しているのだ。
「すみません、バスチオン様、足が、震えて」
バスチオンがメイドのフリージアを抱いて、ゆっくりと馬車から降ろした。
バスチオンはいかようにしてか、ローリーと交代し2台目の馬車に乗り込んでいたのだった。襲撃にも動じず、落ち着き払っている。
「パット殿。糧食が駄目になってしまいましたな。周辺の農場主に知己はおありかな?」
「ここはいまだモンテス領でございます。しかし、この先にモルスという地主の館がございます。ひとまずそこへ」
「ふむ。それがよろしいでしょう。少し馬を休ませましょうか。コモドー!」
老騎士はうなずいた。
「わかれ!」
号令とともに騎士たちは戦闘配置を解いて、再び馬車に武器を納め始めた。
「ブレーナー、メーヤー、馬を連れて水を与えてください。あそこに用水路が見えます」
「かしこまりました、ローリー様」
ローリーはふと、自身の手足が震えているのに気づいた。今思い返せば、かなり無茶な芸当をやってのけたと思う。それ以上に、ローリーの部下の騎士たちは命をかけて戦ってくれたと感じた。彼らはローリーの作戦実行のための、時を稼いだのだ。老コモドー、皮肉屋ブレーナー、柔和なメイヤーに、無口なサンダー。誰も皆、ローリーが騎士になる以前から稽古をつけてくれるなどした、古い友人たちである。よい部下を選んでくれたと、ローリーは父に感謝した。そして改めて、部下のためにも飛蝶騎士団長として、己を高めなければならないと、心に念じたのであった。
追手がやってくる気配はない。きっとローリーの意表を突く作戦に大きな損害を被ったことだろう。
さて、ローリーらのはるか後方。森の中では追手たちが態勢の立て直しを図っていた。
大剣を扱っていたジェンスは馬車に激突した瞬間、武器を捨てて受け身を取った。奇跡的に無傷である。ゆっくりと破壊された馬車に近づく。衝突を免れた2名の仲間が、必死に馬をなだめていた。3頭の馬が使い物にならなくなっていた。仲間を探すと、1名が馬の下敷きになって呻いている。
「オーソス…くそっ…なんてこった」
「ジェンス、ダメだ。馬の野郎がのっかってきやがった。俺はもうだめだ」
ジェンスが周囲を見渡すと、即死したらしい二頭の馬の側に、もう1名の仲間が、頭を地面に突っ込むように倒れていた。
「トードス、おい!」
ジェンスが脇を抱えて仲間を抱き起すと、その頭がぶらりと胸まで落ちて揺れた。即死である。
「ジェンス、ジェンス」
足を折った仲間が呻いている。馬から引きずり出そうとするが、動かない。その両足は無残にも開放骨折しているようだ。
「死にたくねえ、俺は死にたくねえんだ」
「痛むか?兄弟?」
オーソスは泣きながら首を横に振った。
「助けてくれ、兄弟」
肉体の苦痛は常に、そしてあっさりと人間の尊厳を奪い取ってしまう。ジェンスはかつて戦場でそんな場面を何度も目にしてきた。そのうちに耐えがたい痛みがオーソスを襲うことだろう。
ジェンスは、上半身を起こして子どものように泣きじゃくるオーソスの鎧を脱がせてやった。
「やめてくれ、兄弟。やるのかい?俺をやるのかい?」
オーソスをやさしく寝かせてやり、シャツを開放して胸をはだけさせる。
「先にあの世で待っててくれ。俺もすぐに行く」
ジェンスは短刀を取り出すと、素早くオーソスにとどめを刺してやった。血が噴水のように
「リーダー…」
馬に乗った2人の仲間が、近づいてくる。
「高くついたぜ。ローリー・モンテス」
ジェンスはそうひとりごちて、顔の血をマントでぬぐった。2人の仲間を顧みるリーダー。
「ゲインズ、バルトリス。足がかりになるようなものは消していくぞ。仕事は終わりだ」