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第3話 覚醒の儀式

 次の日は朝から晴れた。

 舞台は、モンテス城の南に位置する、古の円形闘技場。かつてこの場所には周辺の異民族が奴隷として連行され、血の見世物を小国の支配階級に提供していたという。

 死と栄光が交錯こうさくした頑強な石造りの建造物は、ミッドランドの小国が統合されブレイク王国となった今でも、果たすべき重要な役割を持つ。つまり此処こそが、覚醒の儀式の舞台なのである。

 多くの貴族の嫡男が、ここで成人の通過儀礼を受け騎士となっていった。

円形闘技場の戦士控室では、ローリーが緊張の面持ちで出番を待っていた。

ローリーは仕立ての良いチョッキとズボンの上から、皮の防具を装着し、左腰に剣を帯びている。オレンジのくせ毛に空色の瞳を輝かせ、可愛らしい少年は、今や凛々りりしい騎士となってたたずんでいた。

「ローリー様、準備できました。どうぞ」

 案内に促されて、ローリーは闘技場の中央に通じる通路を歩き始めた。後ろに騎士2名が同行する。ローリーの装備品なのだろう、騎士たちは小型の兜と、槍をうやうやしくたずさえている。

「ローリー様、御用の時は、いつでも命じて下せえ」

 年老いた騎士が後ろから話しかける。ローリーは振り向くと優しい笑顔を見せた。やや顔がこわばっている。

「ありがとう、大丈夫」

 入場門に控えていた男たちが、力強く縄を引くと、巨大な鉄製の柵が引き上げられる。

 差すような昼の日差しに、ローリーは目を細めた。観客から拍手が巻き起こる。

 円形闘技場にはすでに大勢の人が、このローリーの覚醒の儀式の証人となるため、集められていた。

 闘技場の中央には目隠しをされ、後ろ手に縛られた、異国の捕虜が立たされていた。周囲には捕虜特有の、皮脂ひしや排せつ物の強烈な臭気が漂っている。

捕虜は立っているのも辛そうで、体にまかれた縄を左右から男達が引っ張るようにして、無理に立たされているのだった。

 殺りくの見世物に期待を寄せる観客の、残酷な視線がローリーに突き刺さった。

 ローリーは当惑した。この衰弱した捕虜を、介抱するのではなく、殺さねばならないのか、と。

 彼の信仰は、生けとし生けるすべてのものを隣人として愛せよと説いていたし、騎士とは女神の正義の執行者であって弱者の盾となる者を指すからである。目の前の弱り切った捕虜は、敵ではなく、むしろ守るべき弱者であるように思われた。

「おやりなせえ、ローリー様。こいつめは邪な異教徒でがす。こいつで一息にやっちまってくだせえ」

 老騎士は持っている槍の先で、やせた捕虜の脇腹をつついた。捕虜は恐怖で座り込んでしまったが、すぐに怒号とともに引き起こされた。

 覚醒の儀式は本来、騎士の勇気を見せるための通過儀礼であるはずだ。こんな残酷な見世物ではない。

 ローリーは自身のためらいを断ち切るために、剣を抜いた。速やかに、この捕虜を苦しみから解放せねばならない。例え敵であってもこのような辱めを与えるべきではない。

 老騎士が下がり、ローリーが前に出る。観客席からは、ひときわ高い歓声が上がった。

 この様子を、この場で最も興味深く見つめている人物がいる。それは円形闘技場のひときわ高い客席に座する、ローリーの父、モンテス八世である。

「バスチオン。祝いの葡萄酒を抜いてくれ」

 モンテス八世が命じると、傍らに控える黒衣の執事は、赤ワインを開栓し、大きなガラスの器に注いだ。修練を積んだわが子であれば、あの捕虜を一撃で葬ることも可能であろう。その流麗りゅうれいな姿は観客らに鮮やかな印象を与えるに違いない。モンテス八世はこらえきれぬ自己満足の笑みを浮かべ、グラスに鼻を寄せると、胸いっぱいにワインを楽しんだ。闘技場の砂埃すなぼこりほのかにまとったその香りは、流血のそれに似ているように思われた。

 ところが、当のローリーは金縛りにあったように動かなかった。抜き身の剣をぶら下げて、覇気なく立ち尽くしている。

 ふいに場内が静かになった。何かがおかしい。観客はこの異常な空気を敏感に感じ取っていた。ある種の、ばつの悪いような疑念が、そして好奇の情が波紋のように広がる。

 ローリーは、なおも拘束され衰弱した捕虜を見つめていた。

「何をしている!ローリー!」

 突如、ローリーは現実に引き戻された。モンテス八世が身を乗り出してローリーを叱咤しったする。観客からざわめきが起きた。

 古の闘技場で連綿れんめんと行われてきた覚醒の儀式。その歴史上、最も奇妙な状況が観客の眼前に広がっていた。

「ローリー様!」

 控える老騎士が励ますように声をかけた。

 目隠しをされた捕虜は、すでに生きる望みを失っているように見える。しかし、そのやせた身体は恐怖に震えている。捕虜の心は死んでいるが、身体は必死に生にしがみついている。心と身体がせめぎ合い、全身の震えとなって表れているようだった。ローリーはこのような人間を見たことが無かった。このような人間を、敵とする訓練を全く受けていなかった。葛藤かっとうは鎖となってローリーを縛った。

御免ごめんくだせえ!」

 突然、老騎士が、手にした槍で捕虜のわき腹から正確に心臓を突き刺した。捕虜は糸の切れた操り人形のように、膝からガクンと崩れて前のめりに伏した。

 槍が引き抜かれた胸からは、湧水ゆうすいのように血液が激しく噴き出し、乾いた地面を滑るように広がってゆく。

 観客の興奮は最高潮に達した。ローリーは呆然ぼうぜんと血だまりを見つめていた。

「ローリー様、お役目ご苦労様でござんす」

 老騎士ら侍従は片膝をついてローリーに低頭した。ローリーはようやく金縛りから解放された。

「コモドー、ブレーナー、ありがとう。行こう」

 ローリーは騎士の肩章けんしょうを受けるために、モンテス八世の待つ席へと向かっていった。八歳を迎えたばかりの少年は、足取りが重く、地面に足が沈んでいくような感覚さえ抱いた。

 ブレイク王国の国旗が風に揺れている。その下に大勢の騎士を従えたモンテス八世が立っている。傍らの騎士団長であるローリーの母は、美しいかお如何いかなる感情も宿すことなく、じっとローリーを見つめていた。

「これより騎士称号及び勲章くんしょうの授与を行う!総員、陛下に、かしらをそろえぃ!」

 モンテスの近衛騎士が剣を抜き放って正面に立てて構える。一糸乱れぬ、規律の徹底ぶりである。

「見事な働きであった。本日よりブレイク王国は汝、ローリー・モンテスに対し騎士たる資格を授与し、マヌーサの選民の盾となる使命を果たすよう、要請するものである」

 ローリーが前に出ると、左右の肩に金の装飾が取り付けられ、左胸には騎士の証と、武勲をあらわす勲章がつけられた。

 覚醒の儀式は、今では形骸化けいがいかしてしまったものの、騎士の初めての戦いという意味を有しているため、勲章も同時に授けられる。つまり、この儀式に失敗することは、敵前逃亡と同様であり、それは貴族にとって命に係わる不名誉であると、考えられていた。

 片膝をつき、祝福を受けるローリー。立ち上がると、観客からかっさいが巻き起こった。

 ローリーの父と母は、騎士たちを伴ってすぐに会場を出てしまった。

「お疲れ様でござんした、ローリー様」

 ローリーは、かたわらに控える2名の騎士に礼を言うと、自身も闘技場の入場門に戻っていった。すでに捕虜の死体はないが、地面には黒い血の跡がはっきりと残されていた。

 ローリーは騎士となるために様々な敵と戦う訓練を受けていたが、無抵抗の人間を殺すことになるとは、想定していなかったのである。

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