きらびやかな水晶の間。全ての来賓が席に収まると、父、モンテス八世は謝辞を述べ、明日がローリーの覚醒の儀式であると発表した。拍手が巻き起こり、親族の聖職者が代表して乾杯。控えていた楽団が、多彩な音色で優雅に場を彩っていく。北西の農園から届けられた第一級の葡萄酒が惜しみなく振舞われ、食器の楽しげな音と笑い声は長く絶えることがなかった。
モンテス八世の言う、覚醒の儀式とは、成人の通過儀礼であって、少年が騎士としての武勇を示す、初めての機会である。ブレイク王国の貴族の嫡子は八歳以上であれば
驚くべきことにローリーの母もまた、騎士である。
ヤグリス・グザール、モンテス公夫人。彼女は諸侯の一人であるグザール公の孫娘であり、現在はモンテス城の騎士団長も務める勇敢な女性だ。
二十四歳。赤い長髪を後ろにまとめ
このように、ローリーはモンテス家とグザール家という、ブレイクでも有力な貴族の後ろ盾を持つ、恵まれた出自なのである。
ローリーが挨拶をしようと席を立つと、愛らしい美少女がローリーに抱き着いてきた。
トレッサ公女。ローリーの妹であり、兄と同じく、オレンジ色のくせ毛に大きめの瞳が印象的である。空色の可愛らしいドレスに身を包んだトレッサは、まるで花の妖精といった
「おにいさま、おめでとう!」
「ありがとう、トレッサ!」
二人は
優秀な父と母、そして可愛い妹と過ごす
「ローリー。儀式が終われば、お前のためにお
優しく語りかける父の瞳が、濡れて光を放っているように見えた。ローリーも感動の涙を流した。
「ありがとうございます、お父さん」
メインディッシュの後、フルーツが大皿に盛りつけられて振舞われた。大人たちは美酒に酔いしれていた。トレッサはとっくに飽きてしまい、ローリーを笑わせようとオレンジの皮を口に詰め始めた。ローリーに向かってトレッサが口を開けると、口の中がオレンジの皮で埋まっており、その膨らんだ頬が何とも言えず、可愛らしい小動物のようであった。思わず吹き出すローリー。
「トレッサ!」
母、ヤグリスが一部始終を目撃していた。鋭く呼びかけて、ダメだというように首を振る。しかしトレッサとローリーの顔からはにやにや笑いが取れない。
誕生祝の宴はなかなか果てず、ローリーは中座を願い出ると、拍手とともに許された。トレッサと手をつないで会場を後にし、彼女を部屋まで送り届けると、中ですでにメイドがトレッサを待っていた。
「おにいさま、おやすみなさい!」
「おやすみ、トレッサ」
抱擁を交わす二人。トレッサは情愛の深い子どもとして育っていた。メイドがそんな二人を優しく見つめながら、ローリーに挨拶をした。
「ローリー様、おやすみなさい。明日は頑張ってくださいね」
「ありがとう」
自室に引き下がったローリーはチョッキを脱いでネクタイを外してしまい、ソファにもたれると、システムのぼんやり光るディスプレイを見つめた。
明日は騎士としての技能を披露する場だ。ローリーは馬術のみならず、槍術、弓術、そして剣術の訓練を重ねてきた。
システムの自動記録によって、自身の訓練状況を正確に把握し、弱点を補い、効率よく技術を磨いてきた。その成長スピードは神童と呼ばれるにふさわしいもので、同世代では
「ぼっちゃま」
部屋の外から呼びかけられ、ローリーが応じる。
「じい、入ってきて」
ノックとともに、初老の男性が入室する。すらりと背が高く、グレイヘアに口ひげを上品に整えている。黒いスーツに身を包んだ執事のバスチオンである。彼は、ローリーが幼いころより教育係を務め、また身の周りの世話などしてきた。ローリーはこのバスチオンに大きな信頼を寄せている。
バスチオンはローリーが脱ぎ捨てたチョキやズボンを畳んでクローゼットに収納していく。貴族の嫡子として
ローリーはなおもシステムのディスプレイを見つめていたが、バスチオンにはきっとローリーが考え込んでいるように見えたことだろう。
「今日は早めにお休みになると思いまして」
ローリーは伸びをした。
「そうだね。ちょっと疲れたよ。いっぺんに大勢の人と会ったから」
「温かいお茶などいかがですか」
「ありがとう。嬉しいな」
ローリーは寝室に向かうと、整えられたベッドの上に置いてある寝間着を着た。
若いメイドがティーカップにお茶を注いでソファの前の小さな円形テーブルに置いた。
「ローリー様、今日はとても素敵でしたよ」
「ありがとう」
ローリーがほほ笑むと、メイドも笑顔を返す。ローリーは単に成績優秀というだけでなく、素晴らしい美徳も備えている。いつでもだれにでも、笑顔と思いやりが伝わるのだ。
彼は幼少より神学を学び、騎士としての道徳を実践してきた。
ここで簡単にブレイク王国の国教について述べておく。ブレイク王国の信仰は、女神マヌーサに捧げられている。ブレイク王国が宗教的統一を果たした際、モンテスの人々が信仰していた神は、マヌーサと同一の存在であるとの解釈がなされて、以後はマヌーサの福音を示した聖典が、騎士の、いや、人の規範とされた。
マヌーサは戦う力を持たぬ者のために、騎士に戦いを命じた。この聖典の一節が、騎士の存在理由を端的に表しているとされる。
宗教画に描かれたマヌーサは、右手に水瓶を、左手に盾を掲げているが、騎士は
「僕は騎士だ。力なき者のために、盾となるんだ」
明日、試練に臨む自身に言い聞かせるように、独り言をつぶやく。そんなローリーを、バスチオンは温かく見守ってきたのだった。
「できますとも、ぼっちゃまなれば」